[鼎談]「うさんくさいなぁ」と思ってました―[古野俊幸#8]

対談から鼎談へ。熱いぜ!ミドルマネジメントの番外:鼎談編。「繋がりは意図するから繋がる」をテーマに人脈はどうやって構築していくのかという話に。FFS理論提唱者の小林博士と古野俊幸氏の出会いも行動の延長線上でした。

古野俊幸さんのプロフィール
株式会社ヒューマンロジック研究所代表取締役
関西大学経済学部卒。新聞社、出版・教育会社を経て、FFS理論を活用した最適組織支援のコンサルティング会社・CDIヒューマンロジックを1994年に設立。組織・人材活性コンサルティング業務に従事。現在に至る。これまで500社以上の組織・人材の活性化支援を実施してきた日本国内におけるチームビルディングの第一人者。組織人事監査協会理事、人材育成学会会員、NPOプロカウンセリング協会理事、筑波大学アメリカンフットボール部組織・メンタルコーチも務める。
主な著作:「組織潜在力」(プレジデント社)、「入門チーム・ビルディング」(PHPビジネス新書)、「適正配置と組織の最適編成マニュアル」(アーバンプロデュース刊)、「入門チームマネジメント」(PHP研究所)、「セルフコーチング」(PHP研究所)、「組織を変える!社員を変える!組織が変わる!」(中経出版)(ともに共著)など

起業のきっかけとなった出来事

古野
小林先生に会ってからも、FFS理論の話はずっと聞かずにいました。

前田
最初からしばらくたっても、まだ聞いていないんですか。

古野
そう。それが1993年の2月くらいですかね。その頃当時いた会社で給料遅配が始まりだすのね。

前田
バブル経済期を経て、どこもきつくなり始めていましたものね。

宮嶋
それが起業につながっていくわけですか。

古野
ずーっと給料遅配が続くんですよ。冬から始まったんですけど夏になってくるとそろそろマズイなぁとさすがに思いまして「よし!会社辞めよう」と決意しました。9月30日に辞めるんです。実はその時には、既に会社を2つ設立していたのです。教育コンテンツの会社を設立していましたので、自分で営業して、自分で納品も全部やろうと考えていたんです。

宮嶋
へぇー。

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古野
すると小林先生を紹介してくれた三金会の仲間が、会社を設立しようとしていました。じゃあ手伝いますよとなりますよね。FFS理論を売るための販売代理店しましょう、という話をしました。最初は。そのうち「創業って大変だから中に入って手伝えよ」と言われまして。
 
「お前どうせ自分でやりたいんだったら、3年くらいしてから、飛び出してもいいよ。その時に投資するからと」。「じゃあやりましょか」という流れになるんです。そして12月には事務所を借りるんですよ。会社創業するならCDI(コーポレートディレクション)がお金出してあげるよ、と言われまして。
 
設立準備するときにCDIに休眠の子会社があるので、その会社をもらって増資しました。株式会社CDIヒューマンロジックという社名に変更して。その頃から本気でFFS理論を勉強しはじめたんです。

宮嶋
大学時代のサークル設立のノウハウで社会人になってつくった勉強会で小林先生とつながっていくわけですか。点と点がつながって線になったんですねぇ。

スタートはシステム販売会社

古野
最初は胡散臭いなぁと思いながらスタートしたけど、徐々にこれはすごいなと思ってきて、これはちゃんとやろうと考えたんですよね。

宮嶋
最初から盲目的にのめり込んだんじゃなくて、当初は胡散臭い疑心暗鬼だったのがよかったんですかね。

古野
当時は村上先生について心理学の勉強をしてカウンセリングの講師もやっていましたから、FFS理論の話とか成り立ちを聞いていても、何となく胡散臭いなぁと思っていたんです。でもきちんと聞いていくとこれいけるよね!と徐々に気持ちが切り替わってきた感じですかね。

前田
最初は組織コンサルティングじゃないんでしょ?

古野
スタートはシステム販売会社ですね。当時、DOS/Vができてて、このOS上で動くシステムを販売しようと考えたんです。コンサルティングをする気は全然なかったですね。販売代理店制度をつくって、代理店になるためのシステム買い取り制度を取り入れて。最初8社くらいに買ってもらって初年度に6,000とか7,000万の売上でしたね。2年目の1995年に阪神・淡路大震災が起きるんです。
 
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1月でしたから4月までの4ヵ月間収入ゼロになります。もうそれどころじゃないですからね。1年目がギリギリ赤字で2年目に震災ですから。社員へ給与を支払うのがやっとでもうお金ないねという時期を経て、5月、6月と受注が決まることで少し息を吹き返すことができました。

前田
インテリジェンスでお会いしたのは1995年くらいでしたかね。ぼくが人事統括も兼務していたとき。

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インテリジェンスでFFS理論を導入したとき

 
古野
当時は神戸に住んでいて、JRも阪急も止まっているから梅田にあった会社にそもそも通えないんです。で嫁さんの実家が千葉でしたから、千葉へ居候することになって、東京で営業活動することになったんです。

前田
それでインテリジェンスにも来て頂いたんだ。

古野
上京しても行くとこないので知り合いに順番に電話かけて「会ってください!」ってお願いしてましたね。で、「誰か紹介してください」ってお願いすることを繰り返していって。まわりまわって、紹介してもらって前田さんへたどり着いたってかんじですね。

宮嶋
へぇー、前田さんはどういう印象でしたか?FFS理論を聞いて。

前田
ぼく?ぼくは弁別性が低いから、古野さんの話が難し過ぎてよく分からなかった。(笑)

宮嶋
えぇー。そうだったんですか。そんな印象だったんだ。

前田
そうそう(笑)当時はちょうど人的資質を客観視することができる何かしらのサーベイを探していたタイミングだったので、お話を聞いたんですよ。でも、根っからの感覚派だったから、古野さんがなにを言っているかさっぱり分からなくて。そしたら古野さんが「セミナーあるから1回きてください」って言うんで。セミナーに参加して小林先生に会うんです。これが本当に胡散臭くて(笑)

古野
第一印象でいうと、ドクター中松さんみたいな(笑)印象でしょ。

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前田
なんていうのか・・・怪しい・・・気功師みたいな感じ(笑)初回から3回くらいは本当に受けつけられなくて、先生のこと(笑)

宮嶋
へぇ、そういう感じだったんですね。

前田
そのあと個別で時間をとってからですね、きちんと理解が深まったのは。当時、インテリジェンスの役員会で、FFS理論を説明して資料を読み込んだときに宇野(注:宇野康秀氏、当時代表取締役社長、現U-NEXT代表取締役社長)の理解の早さは抜群だったですよね。
 
すぐに「先生とアポイントとってくれない?」って話になったんです。その後宇野がUSENに行ったりして、本格的にFFS理論を当時のインテリジェンスに導入をしたのは鎌田(注:鎌田和彦氏、当時代表取締役社長、現アート・クラフト・サイエンス株式会社代表取締役会長)でしたよね。

古野
その後、インテリジェンスと学生援護会が一緒になるじゃないですか。じつはぼくは大学の時に学生援護会の仕事をしていて、学生援護会のネットワークはあったんですよね。その後、学生援護会の人を前田さんとの縁で紹介していただいたりするんですが。

前田
不思議な縁ですよね、いまじゃDODAはインテリジェンスのブランドになっている。今の若い人はインテリジェンスのブランドだと思ってますからね。ぼくとか古野さんはDODAといえば、どうしても学生援護会のイメージが抜けませんものね。