エンジニアと経営者。2つの視野から語れる「湊規生」のキャリアに迫る【インタビュー】

Webサービス開発、事業開発。エンジニアと経営者の両方を語れる湊規生のキャリアに迫る

どのような機会にどのような判断をしてきたか。どのような経験を積んできたか。[この人はどういう人なんだろう」、ボードメンバーの人となりをお伝えするのが、この「紹介記事」です。高校時代からプログラミングを始め、Webサービスの開発、そしてWebサービスをつかった事業の開発と、広い経験を持つ湊規生氏。エンジニアと経営者の両方を語れるキャリアに迫る。

ポケットコンピュータを買った高校時代から開発歴がスタート

経歴にある美大って、社会人になってから入りなおした大学院なんです。新卒でシステム開発会社に入って。そこでWeb制作をやれという話になって。でも当時はまだWebのつくり方が一般化していなく、先輩も誰もわからないんです。元々プログラミングを自分でやったことがあったので、この時も手探りで制作したのですが全然正しいかどうかの確信が持てない。特にデザインの面ですね。それで今で言うユーザーインターフェイスのようなデザインを研究している人や場所を探していたら武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン科で学べることを知って、また学生からやり直すことを決めました。

プログラミングは高校時代から触っていました。小さい頃からファミコンをはじめとしたゲームばかりやっていて、自分も同じようなゲームをつくりたいなと思ったんです。それでポケットコンピュータという小さいコンピュータ買って触っていました。普通のコンピュータは高かったので(笑)。ハードはとても貧弱だったのですが、アクションゲームやRPGっぽいゲームを工夫しながら作り始めたのが、今思えばエンジニアとしてのスタートだったようです。

湊規生

大学院を出た後はマクロメディアのHTMLオーサリングソフト(Dreamweaver)のアクセシビリティ機能の開発にも携わりました。アクセシビリティ機能とは、誰もが(障害者、高齢者、ロボットなど)障害なくWebコンテンツにアクセスできるかをチェックし、修正を促すものでした。この当時、アメリカでは連邦リハビリテーション508条が施行され、アクセシビリティが法的強制力をもつようになっていましたし、日本でもJIS規格(8341-3)して普及を開始するタイミングでした。

自分で設計図を描くための選択

オーサリングソフトの開発はとても面白いのですが、その一方でWebユーザーに接するものではありません。以前からユーザーと直接やり取りできるWebの仕事がしたいと思っていたことと、当時携帯電話のWebコンテンツが流行りだしていて興味もあったので、DeNAに転職することにしました。当時はまだ上場翌年くらいで、入社したあとに人がどんどん増えて大きくなって…という時期でした。

次々にやることがあって、やることに対してチームができて、という中でとにかく仕事をしていた記憶があります。実はそう長く勤務したわけではなくて、あるとき会社の立ち上げに声をかけられてそこに参画するタイミングで離れることになります。この会社は、当時知人の紹介でたまに飲んでいたお医者さんから医者のコミュニティサイトをつくりたいから手伝ってほしいと言われて。

今のメドピア株式会社の立ち上げ時期ですね。コアメンバーは3人しかおらず、予算もなかったので、会社の隅にWebだけではなく自社用のメールサーバを立ち上げて運用していました。システムは本当に一からの立ち上げでした。 社員として入社するのと、何の保証もない経営側に立つのは大きな違いで、半年くらい参加するかどうかは悩んでいました。

結局キャリア上の転機になったのですが、大きかったのは立場が変わったことですね。環境の安定性なんかももちろん違いますが、同じ開発の仕事でも経営者としての判断をする立場でやるかどうかは大きな違いです。

開発には上流、下流という言葉がありますが、その上流のさらに上に、そもそもどのようなサービスを作るかを決める”源流”があると思います。この源流に携わりたいと考えると、必然的に会社の経営側にまわらないとできない。今思うと、何の保証もない環境に飛び込む判断をした背景は、どうしてもこの源流からやってみたかったんだと思います。

後にスティーブ・ジョブズの講演で「他人の人生を生きるな」というような趣旨の話をしていたのを聞いて、この感覚近いなと思いました。誰かが考えたことをやるんじゃなくて、失敗したとしても自分で考えて失敗しようと今も思っています。

メドピアでの経験

メドピアは結果的に成長しましたが、軌道に乗るまでは3年くらいかかりました。実は当初進めていたSNS的なコミュニティづくりは、対象層のペルソナにあってなかったんですね。それがわかるまで結構苦労しましたが、途中で気づいてもっと医者が参加したくなる設計に変えてから、アクティブ率やPV数があがって定着し始めました。その一方、人が増えていく中での組織づくりも苦労の連続でした。

マネジメントのやり方もわからないまま事業拡大と人の拡大がどんどん進み、束ねる立場になっていく。特にぼくのように開発系で経営者になると同じ経験をすることも多いんじゃないでしょうか。同じ方向を向けずに組織がばらばらになってしまったこともあります。採用しても人が定着しなかった時期があって、そこで何でだろうかと考えました。

湊規生

実績や学歴を見て、優秀さを判断してとっていたのですが、よく考えたら入社前にちゃんと説明していなかったなと思って。今の会社の置かれている状況やサービス内容の説明と、「今後こういう構想で、この部分をあなたに手伝ってほしい」と期待を伝える。そういう面接に変えてからは、組織の中で何をやるかということに目が向くようになったし、組織全体も同じ方向を向けるようになっていったと思っています。

その後、メドピアが上場したタイミングで離れました。もともと仕事が好きで四六時中働く方なのですが、子供に障害がありその関係で会社にも迷惑をかけるようになっていたので、会社のためにも、家族のためにも最も良いと思える環境に変えることに判断しました。現在は、子供の障害に対応できるようになり家族も落ち着いてきたので、今また、新しい会社への参画をしようとしています。

振り返ると、もともと自分で事業をやりたい性質なんでしょうね。何作っているのかわからない状態より、失敗したとしても自分で考えた結果でありたい。もちろん自分でサービスを作ってみたいという想いと2つあって、ベンチャー環境が必然的だったのかもしれません。

Webサービスは自分がやりたい領域なのですが、今後は自らがユーザーとなれるサービスを創っていけたらと思っています。ドクター向けのサイト開発は十分手ごたえがあり、とても社会的な意義がありますが、決して自分がユーザーにはなれない(笑)。次は楽しめるサイト開発をしたいと思っています。

座右の銘
 icon-anchor他人の人生を生きない

座右の銘と決めているわけではないですが、「他人の人生を生きない」っていう言葉は指針になっています。採用に関わっていた時にも、応募者一人ひとりが他人の人生を生きてほしくないと思っていて、仮にその人が、会社がお願いする仕事に納得できなさそうであれば別の道をお勧めしていました。会社がお願いする仕事は基本的に経営者の考えなので、その考えに従って仕事をするということは他人の人生を生きることだと思います。ただ、その考えに共感を持てるとか、開発するシステムが自分のキャリアアップに繋がるということであれば、自分の人生も生きていると言えると思います。一緒に仕事するメンバーには、できるだけ仕事を自分事にして、「自分の人生を生きている」と納得できるようにしたいと考えています。

 icon-pencil 編集後記

個人のメールアカウントがまだ珍しかった時にいち早く取得したというエピソードを聞くだけでもWebの経験値の多さが想像されます。技術的な好奇心と、それを活用したサービスの設計と、そしてそのサービスを世に発信する経営視点と。本当に幅広い話が伺えた取材となりました。